ams

a tokyo based manicurist, hatsuki furutani's salon works from a.m.s. ebisu place in shibuya

2013-07-10

金鎖 仮想的90年代 カルピスとリボン

a.m.s.恵比寿プレイスです。

こんにちはー。今日のネイルは、今から振り返って思い出す90年代初頭っていう感じもする。当時を知る身からすると90年代ってこんなかっこよくなかったような気もするけど、昔の事を思い出すと思い出は皆美しく、全て綺麗に思い出すようになるのかな?


わたし解説者マサ子(仮名、38歳)はもう40にもなろうっていうので、過去の人生の時間の蓄積もそれなりに出てきて、「あの時代はこうだった」とか「あの年の天気はどうだった」とか「今年はそれに比べて暑い、寒い、雨が多い/少ない」っていうのを実感して語れるようになってきたので 道でおばあさんに話しかけられて

梅雨なのに今年は雨が少ないですねえ もうちょっと アレしてくれるといいんですけどねえ

って言われても

ええ そうですねえ

って言えるし その ええ そうですねえ を真に迫って心から同意することができる。80年代は子供だったから、大人が何をしてたかあんまりよく知らないけど、90年代は自分も大人に片足を突っ込みかけてたので、何をしていたか まあ わかる。会社の若手懇親会という名の合コン大会みたいな飲み会に行くと、若い男女が30人ばかしいて 私解説者マサ子(仮名、当時23歳)もまあ 30人の若い男女のうちの一人だったわけだけど、別に今と中身が違うわけでなし。二次会でカラオケとか行っても 雑誌スナップの常連であるところの女子大卒の「今年の新人、22歳。」のかわいい女の子たちが 「抱いてHold on me!」を歌ってるのを見て心底どぎもを抜いて、口をあんぐり開け感心しながらも(はあ・・・。こういうのが歌えんとあかんのか。)みたいな。当時から、私解説者マサ子は「松尾和子の再会」とか、「西田幸子のアカシアの雨がやむとき」とか そういうのしか歌えなくて、当時から (やっぱり、こういう時に備えて”そういう時用の歌”を一曲くらい歌えないとだめなあ。)と思いつつ、喜びも悲しみも幾年月、気が付いたら御年38歳となっておられたので、もう今更そういう時もどういう時もあったもんではないから、今更「そういう時用」の歌を歌えなくてもいいんだけどさ、やっぱりそれでも一曲くらい「そういう時用の曲」が歌えてもいいのかなと思う。面倒くさいのはさ、「赤坂の夜はふけて」や「カスバの女」や「新宿の女」を覚えたらそれは一生ものだけど、「そういう時用の曲」っていうのはさ、何年かおきに更新されていくから、何年かおきに覚えなおさなきゃいけなないってことだよね。「そういう予定」は皆目ないんだが、「そういう曲」が歌ってみたい。このままもっとオーマイダーリン。

それでは。