ams

a tokyo based manicurist, hatsuki furutani's salon works from a.m.s. ebisu place in shibuya

2013-03-13

薄墨 早春 山水画と水墨画

a.m.s.恵比寿プレイスです。

こんにちはー。このネイルは水墨画なのか山水画なのか、その違いは分からないけど薄墨の早春、あるいは秋の夕暮れ。これは、樹木なのか渓谷の様子が描かれているのかな。


こっちは渓谷や樹木ではなく、象徴風山水画なのか水墨画なのか、桃源郷に稲妻が光る。


こういうのもやった。いろはにおえどちりぬるを。チップにしかできないけどね。


あんまり書き込むと江戸時代の農民の人とか、お坊さんが書いてある墨絵みたいになっちゃうから、やっぱり桂林の山々が薄霞むくらいの感じが素敵な気もする。そういや桂林で思い出したけど、こないだの日曜日って読者のお嬢さん方はお出かけになられたかしら?私解説者マサ子(仮名、38歳)は美容院に行ったのね。お昼過ぎに美容院から出て、近くでご飯を食べて外に出たら、世界が終わっていた。かと思った。美容院に行くときも、美容院から出たあとも、気持ちの良いぽかぽかした春らしい暖かい晴天で、幸せそのもののような綺麗な春の水色の青空が広がっていたのに、ご飯を食べて店の外に出たら、あたりは昼間だというのに不穏に薄暗くなり、打って変わって不気味なつむじ風が舞い上がり、どこかで大火事が起こったのか、化学プラントでも爆発したのか、生物兵器でも撃ち込まれたかのように、世界がスモッグに煙り世界が終わっていたというか、世紀末になっていたというか、ちょっとしたYouはshockだったよね。道行く人が 黄砂だ 黄砂だ と言うから、黄砂なのかな?と少し安心したけど、あれは本当に世界が終わったのかと思って不安になった。以外と世界って終わっても、みんな普通に歩いてるもんなんだなって感心したって言うか、道行く人々は目をこするか、咳こむか、マスクをするか、くしゃみをしていて、誰一人として、健康な人は歩いていなかったんだけど、大きな声では言えないんだけど、私、何ともならなかったんだよね。きっと、本当に世界が終わった時に、みんながばたばたと倒れていく時も私は一人丈夫で奴隷的労働力として最後まで労働に従事しなければいけない頑健な肉体なのかと思うと、世界は俺にまかせておけ、っていう気にもなるし、ああ 最後まで働かなければいけないのか、っていう気にもなる。いや、そんなんじゃなくてさ、結局黄砂じゃなかったんでしょ?ひどいよね みんな黄砂のせいだ~みたいな気持ちになってたけど、結局黄砂じゃなかったわけで、ひどい濡れ衣だよね。

それでは。