こんにちはー。今日は私解説者マサ子(仮名)のネイルだよ。なんかこうして見ると鉛筆でスケッチ画を書いたようにもみえるけど そうじゃないんだ。
さて。
世の中には「番茶も出花。」という言葉があり、端的に言うと「器量が良くない女性であったとしても、若い頃は美しいものである。」という事を示すためにお茶としての低級品である番茶を引用するという、実に時代錯誤的失礼極まりない、セクハラそのもの、昭和おやじ的発想のフレーズであり まったく失礼しちゃうわ。って話しである。
しかしまあ 癪に障るのは事実であるからで、私解説者マサ子(仮名)の20歳くらいのころは、まさにその「番茶も出花」であり、低級品であるところの番茶も入れたては香り高く美味しいように、若さ故、美しかった。はずだ。(自称
で まあ 時は流れ 22年。
そもそもが番茶なので、22年たつと普通におばちゃんである。ていうか22年もたつと、新茶も玉露も抹茶も番茶も煎茶もすべからくおしなべてすべて出がらしなのではないかと思う。
ミスユニバースだって40歳になれば「綺麗なおばちゃん」なのであり、私解説者マサ子(仮名)は 「綺麗な」がつかない「おばちゃん」である。
この「おばちゃん」って概念と言葉は、東アジア特有のものなのかしら。
この「おばちゃん」って概念と言葉は、東アジア特有のものなのかしら。
いやな。
何が言いたいかってーとさ、
20代前半の頃とかさ 着物着ると 普通に銀座のおねえさんには見えていたと思うの。
あれはまさしく間違えなく、錦糸町亀戸や大森戸越、蒲田川崎新小岩などではなく、私解説者マサ子(仮名)の勘違いでなければ、赤坂とか銀座のおねえさんぽい感じであったはずであり、というか はずであったはずなのだ。よってらっしゃいお兄さん。
ところがさ、まあ太ったっていうのものあるんだけどさ、いやまあ太ったっていうだけじゃなくて、年月がたったっていうのもあるんだけどさ、どうも 最近着物を着ると、
銀座・赤坂のおねえさん → ママ
の肝心な「ママ」ところを一足飛びに飛び越えて どっからどう見ても すごーく
「ニューハーフラウンジ・絢(仮)のママ」
にしか見えない。
ホステスさんのママ、とか、赤ちゃんのママとか、〽あたしあなたのママーじゃーない、とか様々な「ママ」の部分を飛び越えるのは別に構わないのだけど、知らんうちに、いつ性別を飛び越えたんだか、そこはちょっと記憶にないような気もしないのでもないのである。そんで追い打ちをかけるように、こないだはっちゃんにマサ子(仮名)さんに、すごいそっくりな人がいるんだけどさー と言われたそのお方は、まさに ニューハーフラウンジのママ。であるそうな。
それでは。