ams

a tokyo based manicurist, hatsuki furutani's salon works from a.m.s. ebisu place in shibuya

2012-07-16

古谷葉月の昔の花 亀の甲羅 路地裏の朝露

a.m.s.恵比寿プレイスです。

こんにちわー。あら、このネイルいいじゃない。色々要素がつまってるよね。擦れた花、削れて苔むした亀の甲羅、路地裏の植物に降りる朝露。全体的に、ノスタルジックな感じでよろしおすと思います。花の模様の具合なんか、昭和40年のお母さんがチューリップハットをかむって、夏にお出かけをする時のワンピースの模様だよね。


わたし解説者マサ子(仮名、37歳)なんて、まだまだ洟垂れお嬢ちゃんですから、若い娘さんたちにバブルの思い出をご披露して、笑いをとる事ができるほど、昭和を知ってるわけでもない。昭和の最後の10年ばかりをちょっとカスって生まれただけで、あんなもの、うちの母ちゃんトメ子(仮名、63歳)に言わせれば、昭和のうちに入らないんだそうな。母ちゃんに言わせると昭和っていうのは、オリンピック前の事であって、今では見ない垂れた青洟を服の袖で拭うもんだから袖がガピガピになったがきんちょが、そこここにいて、何だか今ではあまり気づかないようにうまいこと隠されている貧富の差が歴然と明確にあって、小学生時分のお母ちゃんがお友達のお家に言ったら、なんと、昭和30年当時ピアノがあって、お母様が洋食器でお紅茶を入れて下さり、クッキーを出してくれた。のに、一方自分ちでは、母親がサザエさんみたいなパーマをかけて割烹着を着て、内職をして風呂なし木造平屋で食うや食わずの生活をしているとか、汽車は3等以外乗ったことがないとか、またよくよく大阪出身のお友達の子供の頃のお話を聞居てみると、子供の頃大阪では「いとはん」と呼ばれていたらしい。のに、一方じぶんちでは、4畳3間に15人が居候しているとか、どうやら、色々な暮らしをしている人たちがいたらしい。まあ、今だってそうだろうけども。ところでさ、どらえもんに未だに 「空き地に土管」ていう絵柄が出てくると思うけど、実際、昭和50年生まれの私でさえ、空き地に土管がおいてあるの、あんま見たことないよね。って、母ちゃんに聞いたら、あら。そうねえ。そう言えば最近土管ないわねえ。と言っていた。昔は、大手デベロッパーが高層マンションを建てるわけではなく、地元の大工さんが家を建てるので、ちょっと家の前の地面の空いているところに、建築資材をそのまま置いてあるってことがよく、あったらしい。まあもちろん、お母様が3時のおやつに洋食器でお紅茶を入れて下さるお家の回りではそんなことはなかったんだろうけども。

というわけで、「ゆとり世代」っていつから??若い知り合いがいないから、「ゆとり」の人と邂逅するチャンスもなくてねえ、「ゆとり世代」がいつからかもよくわかんないんだよね。あたしが子供の頃は、日本がライジングサンとかエコノミックアニマルって言われてた時代だと思うんだけど、ゆとりの人たちは、違うのかな?

それでは。