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a tokyo based manicurist, hatsuki furutani's salon works from a.m.s. ebisu place in shibuya

2016-12-01

エンパシーとシンパシーの祝詞

a.m.s.恵比寿プレイスです。

こんにちはー。今日のネイルは 神主さんが祝詞をあげるときにふりまわしているやつ。に似ているね。


私解説者マサ子(仮名)は自分と言うものを過小評価していたかもしれない。

何度か申し上げているように私解説者マサ子(仮名)の周りは矢玉尽き果て 全員結婚しちゃってるもんだから 今更結婚式に出席する。という慶びごと的な事象が発生するとは よもや思わなかったんだけど ヘタしたら10年近くぶりに結婚式にご招待頂いたので 千代に八千代に是御目出度くも参加させて頂いた。

格式高い宴席であったということもあり 私解説者マサ子(仮名)は張り切って 美容院で着物を着て頭をイッテもらってお化粧もしてもらった。

そんで お化粧の最後に 美容院のお姉さんが 今日泣きます?

と 言われたので

(フ 笑止。

と 思って

泣かないよ。

と お答えした。

私解説者マサ子(仮名)は 共感力が実に低く どんなに近しい人の結婚式であっても泣いた事がない。そんなわけで 当然 アイラインはしっかり上下ひいて マスカラも上下がっつり塗ってある。

そんで何一つ何を疑うでなく教会について 厳かに式が始まり 神父だか牧師さんが何やら 宣誓して 入場の前にお母さんが花嫁のベールを下ろしてんの見て、何かもうそこで泣いてんの。

あら?

なんで 自分 泣いてんだろう。

ここで泣くようだと宴のクライマックスにある「花嫁による母におくる手紙の朗読。」においては どのようになってしまうのだろうか。

と不安に思ったわけなんだけど 思い起こすに 前に結婚式に参加したのは33歳くらいであり まだ牙もしっかり生え揃い

ハ?ベールダウン?マジウケルー

くらいなもんであるが あれから8年。

寄せては返す寄る年波。

私解説者マサ子(仮名)とて 押しも押されぬ40代である。

何か涙もろくなったのかしら

と 思って自分の心を解析するに

問題なのは お母さんがベールを下ろしているのを見て泣いた所であって 花嫁がベールを下ろされているのを見て泣いたのではないのであって 実に感情移入するポイントが 「お嫁に行く・行った自分」を すっとばして 母親に感情移入しているところが問題なのではあるが しかし 私解説者マサ子(仮名)は 母親ではない。

なんとなれば、嫁に行っていないからである。

しかるに、これは即ち

親戚のおばさん力 (名:シンセキ-ノ-オバサン-リョク

ではないか?

女というのは不思議なものである。年を取ると 嫁に行こうが行くまいが 子供を産もうが産むまいが 

親戚のおばさん力

なるスキルを知らぬ間に身につけるのか。

私解説者マサ子(仮名)においてすら 結婚式のお母さんを見て泣くようになってしまったんだから 況や本当に結婚して子供のいる女性をや。

そりゃ あなた奥さん。

人の子供がやれぜんそくだ ほれアトピーだと聞けば 心の底から

あらあ〜 可哀相にぃ〜

と 言い

バス停で幼子を連れた母あれば 心底

あらあ〜 何歳なの〜 可愛いさかりねえ〜 

などと 言い

ましてや 一人娘が嫁に行く。などと言えば そりゃあ 新婦側の40代以上とおぼしき女性列席者に限っては一同、目を赤くして 泣きはらし 心の底から

あらあ〜 よかったわねえ〜 お嫁さんも お母さんも〜

と なるわけなのである。

原始女性は太陽というよりむしろ親戚のおばさんだった。と言うべきであり 今や 私解説者マサ子(仮名)のようなものですら 立派な親戚のおばさん力。を身につけているのである。

嗚呼そして アイラインとマスカラは 川の流れのようにでろでろと無残にも流れて行ってしまった。

それでは。