こんにちはー。このネイルは何だろう。朝日、傘の骨、凧の骨。
わたし解説者マサ子(仮名、37歳)の小学校の頃、すなわち昭和の末期頃には、冬の恒例行事として、「凧揚げ大会」なる行事があった。小学校1年生においては、ビニールのごみ袋、当時は半透明の分別ごみ袋じゃなくて、いやらしい不透明な水色をしたビニールのごみ袋あるいは、真っ黒なビニールのごみ袋を材料に使って、ビニール製の凧を製作して、その製作した凧を持って、真冬の寒風吹きすさぶ多摩川の土手に凧を揚げに行く、という誠に有難い行事があった。寸法通りに作ればいいんだろうけど、それができないから問題なのであって、私の凧は揚がったことがなかったので、まあ、凧揚げ大会行ってもさ、揚げる凧がないんだから、手持ちブタさんだよね。凧を揚げない凧揚げ大会で一体全体どうやって暇をつぶしていたんだか、今となっては皆目見当が付かない。
凧は揚がる気配もなく、時は流れて光陰矢の如し、6年生になった。6年生になると、竹の軸に和紙を張り付けて本格的な和式の凧を製作するわけね。んで、まあ私としてはベストを尽くして、寸法通りに切り貼りして、凧を製作したつもりなんだけど、見たからに、左と右の長さが違う凧ができあがった。こりゃひでえな。というわけで、あまりものをはっきり言わない無口な親戚のおじさんに ・・ これは あがらんだろうねえ とか言われたりして、まあ自分でもこの凧が揚がるわけがないと思ったよね。だって、1年生から5年生までは少なくとも見た目は揚がりそうな凧だったのに、揚がらなかったわけだから、見た目にもいびつなこの凧が上がるはずがないと思われたので、絵も書くのもアレだし、細かいもん書いてもどうせ凧だからわかんないし、とりあえず真っ黒に塗って @@ こんな状態の目だけ大きく二つ書いて多摩川に持って行った。
んだが、右と左の長さの違う凧が、多摩川の寒風北風を切ってぎゅいんぎゅいん揚がり始めて、糸をどんどん長くしても、錐揉みダッチロールもせず、真っ逆さまに落ちてはーどっこいになるわけでもなく、地上から見上げても左右の長さの違う真っ黒い凧が 実に雄大に風に乗って、地上十数メートルから @@ こんな目をして私を見下している @@ のを見て、この世のバランスちゅーのは以外といい加減なんだなーと思った。もしかして飛行機とかも、実は左右ぐだぐだのまま飛んでるんじゃないかと思うんだよね。
それでは。