こんにちはー。今日のネイルは実にすばらしいね。1964年の東京オリンピックのポスターのようだ。というかあれが秀逸なのは、そもそも日の丸がデザイン的に秀逸だからだよね。あと赤とゴールドっていうのも良いよね。
さて。
そういうわけで、私解説者マサ子(仮名)は昭和50年生まれなのだが、母トメ子(仮名)に言わせると、そんなものは昭和とは呼ばん。昭和というのは、東京オリンピックまでである。という名言があるのだが、そんな事いわれたって困るよね。事実、私解説者マサ子(仮名)の子供の頃は昭和だった。
こないだ ガス釜の風呂の話しになった。
いやなに。
あれってさ。
昔はさお風呂ってガス釜で焚いていたじゃない?
そうすると、途中でお風呂をかき混ぜる必要があり、大抵はその仕事は昭和の子供の仕事かと思われるのだが、そのかき混ぜる仕事を怠ったりすると、湯船の表面は地獄のように熱く、湯船の底は氷のように冷たい。という現象がおきる。要は 熱いんだか冷たいんだか はっきりしろや。しかしながら混ぜると結局のところ未だぬるま湯。という状態である。だから、沸かしている途中でお風呂をかき回さねばならないのであって、お風呂の蓋も今みたいに、プラスチックの大きな折り畳み型じゃなくて、かき回しやすいように、船の櫂みたいな、木の板だったよね。
あとさこないだ羽田空港行って思ったけどさ、羽田空港の国際線って昔 小屋みたいなやつじゃなかったっけ?なんか平屋の木造の小屋みたいのがあって、そこにちょっとした土産物屋とか、もぎり係りみたいな人がいて、それで普通に国際線ターミナルビル。だった気がするんだけど、どうたったかしら。こんなんで国の外でちゃっていいのか。みたいな。少し記憶がおおげさになっている気もするけど、昔って、木の掘建て小屋みたいなやつじゃなかったっけかねえ。・・いつのまに立派になってねえ と 羽田空港国際線にすら親戚のおばさんめいた感傷を感じる事ができるのである。
それでは。