ams

a tokyo based manicurist, hatsuki furutani's salon works from a.m.s. ebisu place in shibuya

2016-06-16

檸檬マンゴーのフィリピン帝国

a.m.s.恵比寿プレイスです。

こんにちはー。今日のネイルは 檸檬的南国のネイルだね。



思い出してみるに 私解説者マサ子(仮名)と異国の人との出会い。はジョン・スミスさん(仮名)が 初めてであった。私解説者マサ子(仮名)の実家は 風呂無し木造アパートを営んでおり 私解説者マサ子(仮名)が5歳くらいのころ 即ち今から35年前くらいに 金髪碧眼のジョン・スミスさん(仮名)が なぜか その 風呂無し木造アパート 「もくれん荘」(仮名)に入居してきたのだ。


外国人というのは 現代だって 日本で住居を見つけて入居するのは 大変なことだろうになぜか 35年前のその時代に ジョン・スミスさん(仮名)は 「もくれん荘」(仮名)に入居してきたのだ。ジョン・スミスさん(仮名)と言っているけど 実名もそんなような 非常によくある名前で 実名を出した所で 数十万人は同姓同名の人がいそうな名前でありさしつかえないのだけども まあ さしつかえがあるといけないので ジョン・スミスさん(仮名)が お家賃を持ってくると 私解説者マサ子(仮名)は 子供ながらに 「 は はろ〜 」と 申し上げていた所であるけど あんたは 鸚鵡か九官鳥か何かなのかと。よっぽど鸚鵡のほうが賢いに違いない。

で 次の異国人はあれは バブルの建設ラッシュの時代だったんだろうね。私解説者マサ子(仮名)の実家ではなくてでな 実家の前のお家が立て直すとかいって 解体屋さんの人が一生懸命古いお家を解体していたのだけど 解体屋さんの作業する人の一員に それはそれは性格の明るいイラン人のおっさん。がおり 私解説者マサ子(仮名)の家人が前を通ると その強面からは想像できないくらい

アブナイヨ~ ! キヲツケテネ~ !

などと 実に明るく朗らかに感じよく安全第一的な声かけをして下さったものだ。

あれ以来、私解説者マサ子(仮名)は親イラン派である。これは政治的発言ではないのであるのである。

時を同じくして 商店街の八百屋さんなどに行くと フィリピン人のお姉さんなども 日本に働きに来られており 

ペリカンマンゴー 1個 350円。

などという値札の前で 

(こんなに高くちゃマンゴーも食べられない 

といった お顔をされて

ハ~ タカイヨ~ フィリピン モットヤスイネ~

などと おっしゃられていたものである。

あれらのバブルの時代の イラン人のおっさんやフィリピン人のお姉さん方は きっと日本で お金をたくさん儲けて 母国に大豪邸を建てたに違いない。というハッピーエンドを信じている私解説者マサ子(仮名)だけど 実家の「もくれん荘」(仮名)相変わらず 木造のまま 築年数だけが経過していって 立て替える様子も気配も毛頭微塵もないのである。

それでは。