このシリーズは立てば芍薬色の牡丹が散ってくネイルの親戚だね。はっちゃんは、何か貴石の原石の塊が割れた断面の筋、って言ってた。
これには訳がある。あれは昭和56年、マサ子6歳の冬のこと。場所は川崎駅の駅構内の今は懐かしいピンクのダイヤル式の10円通話の公衆電話に行列が出来ていた。たぶんまだ、テレフォンカードとかなくって、黄緑色のテレフォンカード対応のプッシュホン式の電話ボックスも普及していなかった頃で、たぶんその時、電車が遅れたか何かして、当然携帯電話なんて無い時代だから、通勤電車を降りた利用者が皆、お家だとか、待ち合わせの相手に電話連絡するために駅構内のピンクのダイヤル式の公衆電話に行列して並んでたのね。私マサ子(当時6歳)も並んでた。私の前には、黒髪のワンレングスのロングヘアーの綺麗なお姉さんがいた。当時の綺麗な大人のお姉さんて、冬になると本気の毛皮のコート来てる人が結構多かったんだよね。で、その私の前に並んでいたお姉さんは、シルバーフォックスなのかホワイトミンクか、とにかく銀色に輝く長い毛足のゴージャスな毛皮を着て、電話をしていたの。1件目の電話でお姉さんは、
「もしもし?ユリ子ですー、・・だから ・・ なの・ 少し遅れるからごめんなさ~い」
みたいな電話をしていて、もう1件連絡をつけなければいけない相手がいたようで2件目の電話をかけて、お姉さんは、
「あーこんにちわ サユリですー、・・ ・だから ・なの・ (以下割愛)・・」
子供って純粋なもんで、なんで違う名前を言ってるんだろう?という疑問しか浮かばなくて、それ以上は何も思いつかなくって、まったく自分の知識経験想像の範疇外の出来事なもんだから、思考停止状態でなぜかという想像すらしないで、答えを見出そうとする努力すらしないで、その疑問を疑問として深く追求しないで、ずっとそっと心のブラックボックスにしまっておいたんだよね。というか、意図的にしまっておいたわけじゃないんだけど、やっぱり子供心に (なんでだろう) という 不自然な強い疑問を感じたから30年も記憶に残ったんだろうけど、答えを追及するでもなし、自然と時が経つまま大人になって、いつ答えがわかったのか、それも覚えてないけど、心のブラックボックスからふと湧き上がってきたその疑問に向き合ったら、いつの間にか、すらりと答えが出てきたよね。(答え:「大人の事情」)
そういうわけで、サユリとかユリ子とかレイ子とかルリ子みたく女優さんみたいな名前じゃなくてもいいけど、生活の匂いが思い浮かぶ名前の方がいいなと思うのね。私のマサ子だって仮名なんだから、上述のお姉さんみたく、別にいつも名前が同じじゃなくてもいいかなと思う。何がいいだろか。
それでは。