a.m.s.恵比寿プレイスです。
口がある人は目がなく、言葉をしゃべる人は目も耳もなく、目のある人は口をきかない。口をきくものは、耳をふさぎ目をふさぐ。兎に目がないから、口をきく人に顔がないから、見ざる言わざる聞かざるになっていてよろしおすと思われます。
ところで、世の中には「狸おやじ」というのがいるよね?昔の自民党の政治家とかさ、主語動詞述語が曖昧模糊として何が何だか何を言っているのかわかんないんだけど、聞く人が聞くと何らかの指令を出しているようで、結果的にはまつりごとがやんごとなく司られてるわけでしょ?
「ぃえー 人は石垣ぃー、人は城ぃーぇ・・ と申しまして ぃえー。」
てなんのこっちゃ。なんだろう??ほんとにマサ子、わからないよ。
卑近な例で申し上げても、会社の専務とかも あー うー いぃえー、義に過ぎれば固くなると申しましてええー、断腸の思いでぃわーぁー、ございますがぁー、気ぃ長く心穏やかにしてえー、あーえーある一定のー、期間いぇー賞与のぉー、えー支給のぉぉー、凍結的状態がぁーいぇー、観察されたと、いぇー、報告をぉー、いぇー受けておりますがああー、あーぃえーただちにいぇー、影響はぁーありませ、?て凍結なのどうなのどっちなのみたいな感じになるでしょ?翻って、女っていうのは古来から年取ると化け猫になるとか、やれ35歳になるとしっぽが裂けてミツマタになるとか、魔物になるとか、妖怪になるとかまあなんというか、「狐」になる傾向があると思うんだね。だから、狐おばさん、という爆発的事象はあっても、狸おばさんという状態は観察されていない。一方、男の狐おじさんというのはいない。いやにおばさんぽい「おばさんおじさん」、という何らかの事象は観察されていても、狐おやじ、はいない。でも、狸おじさんすなわち、狸おやじというのは一般的な事象として広く世間に認知されている。
でもさ、ここでおやじさん方を貶めているのではないの。はっきり言わないのになぜ物事が進む?ぃえー 人は石垣ぃー、でなぜ進められる?わからなかったの私だけ?でも、みんななんとなく、空気でわかって、狸氏の思うままに進んでいて、満更でもなさそうなそうでもなさそうな、おもしろくもなくもなさそうな、曖昧模糊として、やんごとなくまつりごとが進んでいる風で、あたし程度の洟垂れお嬢ちゃんが、言語明瞭論理明晰な論調で四角四面に問い詰めて攻撃して糾弾して爆撃して紛糾して総括して粛清したのに、それでも狸にケムに巻かれてあれなんだったっけ??くらいな方がいいんでないか?この包括的ケムに巻く能力というのは、甲羅を経て功成り名を遂げて劫を経た男性が持つもので、同じ年でもなかなか女性が持っているのを見たことがないのは、是正に女性に狸がいないのと同様であるくじらの構文。A is no more B than C.
そして、この包括的ケムに巻く能力というのを、「狸力」(名:タヌキーリョク)、と名付けて、今年度すなわち我が社における2011年度一年の目標を狸女になる、あるいは狸力をつける、あるいは、狸女になりたい、あるいは色々説明を略していきなり、俺、狸になりたいのね。とかいって隣の席の人に は?とか言われたりしてたんだけど、いまだ化け猫狐女、解説者マサ子、36歳の冬が寒い。
それでは。