a.m.s.恵比寿プレイスです。
最近は、食虫植物的なネイルが流行ってるかと思いきや、今回は可愛い可憐な植物観察、昆虫観察。
これ、よく見ると花の上に、ガラスみたいの乗っかってるよね。室内の光だとよくわからないんだけど、室外の光で写真を撮ると、こういう風↓にガラス玉が乗っかっているようになっていて、ガラス玉の底が透けて見える。だから、たぶん今回の花のネイルも、室外の光で見るとガラスの底に花が写っているようになっているはず。
ところで、わたし解説者マサ子(仮名)は、もうのび太くん並み目が悪いんだけど、まあ口も悪いけどね、耳は良いんだよ。これまた酷い地獄耳で、だいたい会社で誰が何話してるか大抵聞こえてるからね。地獄耳っていうのもこれ、口は挿めないのに、一人でやきもきしなきゃいけないから結構心の中は大忙しで大変なんだけど、別に地獄耳に肉体的な苦痛があるわけじゃない。ところが、どうも最近気が付いた。もしかして、自分、全体的に音量が大きく聞こえてるんじゃないか?なぜならば、電車のドア閉まりますのアナウンスとか、ドア閉まりますの音楽とか、ほんと、嘘じゃなくて音量が大きすぎて耳が痛くなるわけよ。ああたぶんきっと音量が大きく聞こえる体質なんだなと思ってたけど、さらに気が付いたのが、どうも最近の高層高級インテリジェントビルていうのは、入口に鼠進入禁止の鼠返し超音波仕掛けみたいのがあるらしくって、ピーピーうるさいんだよ。ビルに入れないじゃないか。あたしは鼠か。どんだけ地獄耳なのかと。これって、もしかしてついに自分の脳みそが電波になっちゃって聞こえてるのかと思ったけど、どうやらそうでもなくて、見てると若いお嬢さんや、若い僕ちゃんがそのビルに入るときに明らかに不愉快そうに、ビクッってなってる時があるので、たぶん、これは これは・・もしかして・・ 御年37歳にして例の高周波モスキート音が聞こえてるのじゃないかと思ってテストしてみたら、思いっきり聞こえてた。やっぱほんとに地獄耳だったんだ。年いって高周波が聞こえてるのはただの地獄耳と言うと思う。では、鼻は良いのか?ものすごく背が低いからそりゃあ、満員の朝の通勤電車はお父さん方の谷底に沈みますから、前の日良く飲んだんだろうなーとかそのあとラーメン餃子食べたんだろうなーとか、そういう事は良くわかるけど、あまり鼻が良いとは思ってなかったんだけどあれは去年の初夏。
こんな気持ちの良い夜は1年の内にそう何日もないと思われる初夏の夜に、浜松町の駅を降りたら、何か甘い樹木の香りがした。樟脳のような白く爽やかで控えめで自然な香りが、駅を降りたら漂っていているけど、人工的な香りではない。でも周りを見渡しても、花はどこにも咲いていないし、木も植わっていない。大門の方へ歩いて行くに従って、隠しようもなくなったけどそれでも控え目な甘い爽やかな樟脳のような樹木の香りが、5月の夜の薄靄の町全体をもんやりと包み込みんでいるけど、どこからその香りが漂ってくるのかわからない。芝公園はたくさん樹木や花が植わっているから、通り過ぎる時に、どこからこの香りが来るのかな、どこにそんな大きい花が纏まって咲いてるのかなと思って、街路樹や木々や樹木や植え込みや花壇の花を丹念に見てもわからない。とうとう最後に上を見上げたら、芝公園のあたり一体に植わっている楠の木、花も咲かないと思っていた楠の木、紅葉もしない万年緑の木、役所が好んで植える質実剛健なあの街路樹、あの楠の木が、樹木全体に真っ白な花を咲かせて、と言ってもヤツデの花よりもっと小さな、小さな地味なたくさん纏まってもそれでも小さな地味な小花が、楠の木全体に咲いていた。芝公園を香りの中心にして、赤羽橋から浜松町・新橋までの一体、数キロ四方に渡る町全体を、その晩は楠の木の花の香りが包み込んで漂っていた。コンビニを出ても、家に入っても、お風呂に入っても、家の中でも、楠の木の香りは付いてきた。誰も知らない楠の木の勝利、楠の木の支配。楠の木が町を支配する。次の日には香りは衰えて、3日後には花も枯れて香りも消えてた。桜は年に1週間の間、毎年毎年あれだけもてはやされるのに、楠の木の香りが年に1日だけ町や家や人を完全に包み込んで支配する事を、みんな気が付いていないんじゃないか?楠の木万歳。年に1回1日だけなんてあれだ、七夕とかバレンタインとかクリスマスみたいなもんだから、もっと楠の木流行ってもいいんじゃないかなあ。あたしは5月の頭が今から楽しみだよ。
それでは。