こんにちはー。またこりゃはっちゃんのザ・真骨頂。みたいなネイルだね。オーバーザレインボウ的虹の彼方に。
ところで私解説者マサ子(仮名)はジュディ・ガーランドは世界三大歌姫の一人であると信じておる。彼女が1961年にカーネギーホールで歌唱したオーバー・ザ・レインボーは、私解説者マサ子(仮名)などは涙腺が弱いので、聞けば必ず泣くし、ボイジャーか何かにのっけて、宇宙人に発見されたときに「これが人類の歌声です」っていう風にわかるように例の金色のレコードにいれておくべきである。
私解説者マサ子(仮名)とて、人の子であり木の股から沸いてでたわけではないわけであり、アル中で薬中で自殺未遂を何度もして5回も結婚離婚した彼女が「幸せの青い小鳥のように、虹の向こうに飛んでいったらきっと夢がかなう。」と歌うのを聞いて涙を流さないやつがおろうか。(いやおるまい。 ・・と思うのである。
〜〜〜〜〜〜〜〜閑話休題〜〜〜〜〜〜〜
というわけでさ。
私解説者マサ子(仮名)は極々平凡で平和にヘテロセクシャルとして生きて来たと思うんだが、特段自分を女性らしい、女らしい。と思った事は全く一切、一度たりとてない。とは言っても、男らしいと思った事も特段ないので、精神的性別は極めて曖昧模糊としているのかもしれない。
そらあんた。私解説者マサ子(仮名)だって、だてに半世紀近く生きて来てはいないのであって、女性ならでは的な共感力みたいのはあるよ。人の結婚式とか行けば、
あらあ〜 よかったわねえ〜これでお母さんも安心ねえ〜
とか言って花嫁の手紙のコーナーで泣けるし 親戚のおじいさんの葬式に行けば、
あらあ〜 でも大往生よ〜 ひこすけおじさんらしいわよ〜
とか言って涙ぐむことだってできる。
なので、まあなんだ。
色々ひとっとびに親戚のおばさん力は人並みにある。でもこれは、「女性らしい」とか「女らしい」とかいう艶かしいもんじゃないじゃないよね。だから、私解説者マサ子(仮名)は自分で、「女らしい」とか「女性らしい」ていうのは、一切ないもんだ。と思ってたんだが 一つだけあったね。
財布が ぱんぱん。
長財布なのに、ぱんぱん。
なんでかね。
使いもしないポイントカードとか、ほとんど取引してない銀行のカードとか、どっかのお店のポイントカードとかポイントカードとかポイントカードとか。貯めてねえっつーの。あとレシートとかお守りとか、免許証とか。あれなんで、女の財布ってぱんぱん。なのかね。男の財布は薄いよね。あれなんで?主婦の方の財布がぱんぱん。になるのはきっと本当に必要なポイントカードを入れているのだろうから、わかる気がするんだけど、私解説者マサ子(仮名)の生活パターンはサラリーマンのおっさんそのものなのだから、財布の薄さだってサラリーマンのおっさんの財布くらい薄くないといけないはずなのに、なんであんなことになっているのだろうか。解せぬ。
それでは。